下関のS君、逝く

今日は近県ドライブの最終日。昼からずっと運転してたのでわからなかったが、16時帰着後、下関のS君から電話があったことに気が付いた。すぐに折り返したのだが通じず、18時過ぎ、彼の携帯で奥さんから電話が来た。

本日11時18分、入院中のS君が亡くなったという。この週末には首都圏に住んでるお二人の息子さんらも駆けつけており、それを待っていたかのように徐々に意識が薄れていき、最後は眠るように安らかなお顔だったという。

昨年暮れ、ステージ4の胃癌が見つかり他にも転移していて余命1年の宣告を受けたとメールが来た。さらに「家族しか知らないので他言無用」と言う。彼は十数年前に直径6㎝ものすい臓がんを放射線抗がん剤で克服したゾンビなオトコ、「なんでそこまで気が付かなかったのか?」と思いつつ「とにかく暖かくなったら見舞に行く」と言うのが精一杯だった。年が明けても、早く見舞に行ったら死に急がせるような気がし、といって手遅れになったら後悔すると思いながら、悶々と見舞の時期を考えていた。

彼とは、平成4年4月、出向先のセンターに勤務してからの付き合い。仕事のことでも私事でも歯に衣を着せぬ言葉で自分の意見を言ってくる。相談事も含めて彼とはよく飲みに行き、酔うと必ず「言っちゃあ悪いけど、、、」とズバズバ切り込んでくるので「言っちゃあ悪いと思うなら言うな」と怒鳴り返すこともあった。

前述の病気を機に地元下関に戻ってからも、ワタシの出張の折に、また定年後は九州・四国を旅したときに、図々しく自宅にお邪魔して一晩飲み明かしていた。4月5日、見舞に伺う。もう固形も液体も胃からの吸収は難しく20数㎏も痩せていたが、気力はしっかりしていた。横浜の娘からは「容態が心配だから今回は泊まっちゃダメ」と言われてたのだが、押し切られていつも通り一晩お世話になり飲みながら語り合う。翌日の別れ際、70過ぎのジジイ二人が涙目になってお互い正視することが出来ず「アリガトウ」と握手しあうのが精一杯だった。

彼が「センターのみんなに逢いたいなあ」と言ってたので、当時の同僚と相談しLINEグループを作成して仲間を集めてもらった。彼の状況を理解した上で十数名が集い、お互いの近況などをLINEしあっている。彼からも「みんなの近況が分かり、毎日楽しく読んでいる」とメールがあった。少しでも心の安らぎになっていたら本望だ。

ワタシの3つ下の72歳、まだ逝くには早すぎる。今は冥福を祈るのみである。