あれから60年

朝から曇り。午前中はまだ明るかったが昼過ぎからだんだん暗くなり、15時頃からポツポツ来たかと思ったらあっと言う間にかなりの降りとなった。夕方には止んだが、お陰で少し涼しくなった気がする。

1964年(昭和39年)のこの日、13時過ぎに新潟地震が発生した。震源新潟県沖でマグニチュード7.5の大地震、揺れも凄かったが、信濃川を遡る津波、当時はなんて言ってたか思い出せないが液状化による建物の倒壊、道路の崩壊など被害は甚大だった。復旧工事が進まぬ中で大蔵大臣の田中角栄建設大臣河野一郎などが来県し、「間近に迫った東京五輪関係の工事が優先、復旧工事はもうしばらく待ってくれ」と発言した。今なら「五輪より国民生活を優先させろ」と騒ぐところだが、「国を挙げての、、、」で当時はみんな納得してた気がする。政治も国民も「大人」だったのかな、、、

元旦に起こった能登半島地震。県内もかなり揺れたが、もっとも大きかったのが市内西区の液状化に寄る被害だ。60年前に被害があった同じところがやられているらしい。あ姉の近くの中学校では液状化で建物が被害を受け、全棟建て替えることが決まった。被害地区では復旧方針が定まらず、手付かずのところもあるらしい。

懸念してるのは、能登半島地震を起こした活断層の東端が佐渡沖にあり、今ここにヒズミが溜まっていていずれ大地震が起きるカモ、ということ。災害はいつ起きるか分からない。ジジイのワタシができることは避難所生活に耐えうる体力づくりだろうか、、、