学生相撲の思い出〈2〉

風はやや強く吹いたが、昨日同様の快晴が続いている。

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国学生相撲大会は、大相撲三月(大阪)場所が開催されてた大阪府立体育館で土曜は個人戦、日曜は団体戦が行われた。団体戦は実力に応じて一部、二部、三部に分かれており、我が校は勿論三部に所属。団体戦は日大、東農大、近代、同志社大などの恐ろしい選手と当たることはないが、個人戦は別で本部が決めたトーナメント表に基づき行われる。組み合わせにより一部校の選手と当たろうものなら我々が勝てる確率は皆無、「ハッケヨイ」の声がかかればほぼ「秒殺状態」で何秒土俵の上に立っていられるかが話のネタとなった。大会に出ると「参加賞」があり、今日机の中をひっかきまわして1970年48回大会、1971年49回大会の参加賞を探しだした。

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すぐ下の学年に入部者がなかったため、三~四年時の二年間主将を務めた。こんな「なんちゃって」相撲部でも、ナント、優勝経験があるのだ。三年生のときの1970年秋に靖国神社で行われた「第19回東日本学生相撲リーグ戦大会」の二部、試合は七人制で三年生4人、一年生3人で参加し、東京医大、日本医大、麻布獣医大等7校総当たりして見事優勝した。個人的にはこのリーグ戦で全勝したことで「敢闘賞」を貰った。翌日、後援のスポニチ紙に名前が小さな記事として載り、確かコピーをとっておいたのだが見つからなかった。

相撲部のOB会は「角友会」と称し、毎年学生部員を招いて盛大に新(忘?)年会を開催していた。学生の頃は、当時の大手水産会社の役員など大物も多数参加されていて「スゲェー」と思っていた。母校の相撲部も私が就職してから7~8年は持ちこたえていたが入部者がいなくなり、現在は廃部となっている。

国学生相撲選手権大会は来年節目の百回目を迎えるという。そんな大会に私も参加したことがあるのだから、ホンのチョッピリ、誇らしい気分である、、、