ケープタウンの出来事

曇りの予報ながら日中はずっと陽が射す良い天気で、もうちょっと気温が高ければツーリングに絶好だったかもしれない。

今、南アフリカネルソン・マンデラ元大統領が亡くなったニュースが世界を駆け巡っている。
マルハ漁撈事業部時代の1989(平成元)年7月から翌年2月まで、ケープタウンに長期出張した。仕事は、系列会社を含むマグロ漁船とナミビア(独立前で南ア領)沖で周年操業していたカニ籠漁船のケープ入港中の世話だった。事務所は現地の船舶代理店の一室にあり、住んでたのは、アパルトヘイト時代の白人街の警察署隣のマンションで、街並みも美しく治安の良いところだった。当時は民主党のデクラーク大統領の下で黒人への政権移譲路線が進められていたが、保守党の巻き返しもりちょっと騒がしい頃。白人の多くは将来職を黒人に奪われるのではとの不安があったと思う。
滞在中のある日、船舶代理店の人が来て「マンデラが監獄島から今日帰ってくる。かなりの騒ぎとなるので、早く帰って外へ出るな」と言う。その日は忠告に従い、マンションでマンデラの帰還と喜んでいる人たちのニュースを見ていた。翌日、いつも食事をするダウンタウンへ行ったら、ところどころシャッターが曲りショーウィンドーが割れゴミが散乱している。ニュースには出なかったがかなりの騒ぎがあったようで、前日の忠告の有難味を実感した。マンデラのその後もすごいが、一緒にノーベル平和賞をもらったデクラークも相当の人物だったと思う。
マンデラのニュースを聞いてそんなことを思い出していた。