床屋の話し

昨日の晴天とは一転、朝から雨が降ったり止んだり。気温も低めでウスラ寒い。

午後から1月17日以来の床屋へ行ってきた。左がそのビフォーアフター、最近は髪の伸びも鈍化して、二か月ぶりだというのによく見ないと違いが分からないからイヤになる。床屋には忌まわしい記憶が三つある。

一つ目は床屋へ一人で行きだした小学校1~2年生の頃。床屋の跡取り息子で店に出始めたばかりのアンチャンに、ナント耳を切られたのっだ。仕上げ段階でハサミを縦に持ち、カッコよくチョキチョキやってたのだが、耳の一番上もチョッキン。結構血が出たが、その頃はバンドエイドもなく脱脂綿で切り口を抑えデッカイ絆創膏を張って終わり。それでも整髪料はしっかり取られ、帰りに飴玉一つ貰って示談となった。

二つ目は小学校4年生の頃。いつもの「坊ちゃん狩り」から当時流行の「慎太郎刈り」に憧れ「五分刈りで短いスポーツ刈りに」と言ったつもりだったのに、何を血迷ったか前述のアンチャンは電気バリカンを構えるや、額から後部にかけてまっすぐ一直線に刈ったのだ。五分刈りを五厘刈りと勘違いしたらしく、まるでアマゾン原野に一本道が通った感じだった。「アッ」と言ったがあとの祭、あとは涙目になってカガミも見れなかった。ワタシはゼッペキ頭でスキンヘッドなんて似合うはずがない。その後しばらくは「針のムシロ」状態で、学校の授業中以外は常時学生帽を被って暮らした記憶がある。

三つめは新潟に戻った10年前前後の頃。いつものように「毛が立たない程度に全体に短く」と言ったら、「お客さん、毛筋が細くなって短くしても立ちませんよ」と言われ。物凄くショックを受けた。それ以後はシンプルに「短めのスポーツ刈りに」しか言わなくなった。

父親は若い頃真っ黒な髪を自慢していたが、八十八で亡くなる頃は産毛が張り付いているくらい薄くなっていた。ちょっとムカシ「髪は長い友だし」ときうCMが流行ったが、その友情も終焉を迎えつつあるのかな、、、