髪の話し

今日は朝から青空が広がって爽やかな秋日和。夕方のピアノレッスンが無ければバイクで走るのに、勿体ないことをした。午前中、40数日ぶりに床屋へ行ってきた。トシをとってから髪のボリュームは減ったし伸びも鈍くなり、見苦しくなったから行くのではなく前回から日数が経ったから行く感じである。

小学校低学年くらいまでは「坊ちゃん刈り」。その頃は産毛がそのまま伸びたフワフワの毛質で、アルバムを見ると黒柳徹子のタマネギ型のような髪型だ。

3~4年生頃だったろうか。暑くなってきたので短くしようと「五分刈り」と注文したのに、床屋のアンちゃんは何を血迷ったか「五厘刈り」と勘違いし、あっと言う間もなく額の中央から後ろに一直線で電気バリカンを入れてしまった。それまで短くしたことがないから地肌は青々としていてまるで原野に舗装道路ができたようである。瞬く間に豊かな森がハゲ山にされた感じで、半べそをかきながら家に帰った記憶がある。ちなみに、このアンちゃんには整髪中に耳をハサミで切られたこともあった。しかし、この「坊主事件」でそれまでの産毛が一掃され、ツヤツヤで太い黒髪に変わったのだから皮肉なもんである。

以後はずっと少し長めのスポーツ刈りが多く、高校の多感な頃もせいぜい左から右へ軽く流す程度の長さに抑えていた。大学のほんの一時期、ジュリーやショーケンに感化されて長髪気味にしたこともあったが、あまりに似合わないのですぐやめてしまった。就職してからは乗船勤務のときを除き、ずっと整髪料タップリの「七三分けサラリーマン風」にしていたが、ある時床屋から「オタクは分け目が短いから、七三は似合わない」とハッキリ言われた。私はゼッペキでうしろ頭は真っ平、当然分け目が短いことは自覚していたが面と向かって言われるとショックは大きい。それ以来、七三の髪型はやめてしまった。

それから最近まで、床屋では「髪が立たない程度に短く」と注文していたが、4~5年前「髪が細くなってるから短くしても立たないよ」と言われ、またまたショック。以後は「脇はバリカンで刈り上げ、スポーツ刈りに」に変わった。ここ一年はバリカンの刃の長さも「5㎜」から一番短い「3㎜」になってしまった。

父親は若い頃から髪の毛は豊富で、ポマードで櫛目をしっかり入れいつも小ぎれいにしていた。ハゲとは無縁と思っていたが、晩年は毛筋が細くなって地肌も見えるようになり、88歳で亡くなったときはほとんどツルツル状態だった。

さてオレの髪の毛、ますます白く柔らかくなってボリュームもなくなってきた。あと何年つきあってくれることだろう、それこそ「カミ(髪 or 神)のみぞ知る」ところだろうか、、、